往々にしてMに興味を持つことは死の淵を歩く「死の欲動」(後期フロイト)が働く場合が多い。それは劣等克服論(アドラー)や欲求段階説のピラミッドの頂点にある自己実現(マズロー)などとは間逆のベクトルにある絶体絶命の自殺願望が素顔であり、心の安定どころではないことが現実の場所だ。
14 Jun 2017 01:42

往々にしてMに興味を持つことは死の淵を歩く「死の欲動」(後期フロイト)が働く場合が多い。それは劣等克服論(アドラー)や欲求段階説のピラミッドの頂点にある自己実現(マズロー)などとは間逆のベクトルにある絶体絶命の自殺願望が素顔であり、心の安定どころではないことが現実の場所だ。 



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往々にしてMに興味を持つことは死の淵を歩く「死の欲動」(後期フロイト)が働く場合が多い。それは列島克服論(アドラー)や欲求段階説のピラミッドの頂点にある自己実現(マズロー)などとは間逆のベクトルにある絶体絶命の自殺願望が素顔であり、心の安定どころではないことが現実の場所だ。 往々にしてMに興味を持つことは死の淵を歩く「死の欲動」(後期フロイト)が働く場合が多い。それは劣等克服論(アドラー)や欲求段階説のピラミッドの頂点にある自己実現(マズロー)などとは間逆のベクトルにある絶体絶命の自殺願望が素顔であり、心の安定どころではないことが現実の場所だ。 キリギリスの場合、働きながら私的生活を充実させるという意味のワークライフバランスも逆立ちして遊びがやめられず働きが追いつかない最悪の多重債務者への道が待っている。何故そんなことが起こるのか?そこには教訓=道徳なんてものが無意味なほどそもそもバランスを欠いた心の病が隠れている。
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